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鳥ひとすじに130余年 その2

昭和中期

食の多様化へのさきがけ

昭和30年代半ばには、牛肉の値段上昇とブロイラーの出現に伴い、鶏肉と牛肉の値段が逆転しました。アメリカからブロイラーやターキーが日本へ渡来した時代です。このころ、3代目・井元弘が入店。缶詰や燻製など、積極的に加工品の開発と販売を始めました。その当時は、まだ加工品を置いている店は珍しかったといえます。さまざまな商品を考案し続けた結果、現在では生肉と並ぶ主力商品に成長しました。

戦前との決別

著しい経済成長の中、食鳥産業をとりまく状況は刻々と変化しました。それまでは鶏肉といえば採卵鶏の肉でしたが、肉専用のブロイラーが主流となったのです。また、昭和40年代後半に「流通革命」として産地直売が流行し、スーパーの進出によって、戦前からの流通メカニズムが完全に変わりました。その中で鳥芳は昭和44年に3代目・井元弘が社長に就任し、卸業からは撤退。直接お客様と向き合う小売にすべてのエネルギーを注ぎ、阪急百貨店の多店舗化に合わせた出店を続ける戦略で現在に至っています。

昭和後期〜平成

高齢化と健康志向社会

高齢化が進む中、鶏肉は動物性タンパク質の摂取に欠かせない食材として注目され、牛肉や豚肉をしのぐ日が来るかもしれないといわれています。薄く切ることが技術的に難しいとされてきた鶏肉を厚さ2mmの超薄切りにした画期的な「チキン21」の開発は、鶏肉のイメージを一新し、しゃぶしゃぶや焼肉など鶏肉料理のレパートリーを広げました。また、業界としてもお客様により安全で安心な鶏肉をお届けするためにさまざまな制度や規格を設け、鳥芳はこの中で老舗ならではのノウハウや信用を活かし、業界活動に貢献しています。

鳥芳が歩む現在と未来

時代は平成に入り、東京の百貨店にも進出しました。創業以来の鶏肉ひとすじを貫き、日本全国の皆様に鶏肉の良さをもっと知っていただこうと、さらに歩みを進めています。平成17年には新社屋が完成し、工場により安全性の高い設備が整いました。食が一層多様化する中、時代のニーズに合わせたさまざまな商品を揃え、昨今関心が高まっている食の安全にも、設備とヒューマンパワーの双方向から一層の配慮をしております。また、鳥芳は生肉の鶏肉をファッション化することにも目を向け、鶏肉を美しく引き立てる工夫をしております。これまで培ってきた品質にさらなる磨きをかけ、よりお客様に喜んでいただける商品づくりに注力し、発展してまいります。

株式会社鳥芳

鳥芳のあゆみ

昭和60年
創業100周年を迎える。
昭和62年
井元 弘 全国食鳥肉販売業生活衛生同業組合連合会の会長に就任。
昭和62年
井元 弘 社団法人全国環境衛生同業組合中央会理事に就任。
平成4年
井元 弘 代表取締役会長に就任。
和田 融 代表取締役社長に就任。
井元 克典 代表取締役専務に就任。
平成10年
井元 弘 全国食肉公正取引協議会副会長に就任。
平成11 年
井元 克典 代表取締役社長に就任。
和田 融 相談役に就任。
株式会社高島屋(新宿店)に出店開始。
平成13年
井元 弘 財団法人全国生活衛生営業指導センター副理事長に就任。
平成14年
井元 弘 日本食鳥鶏卵産業厚生年金基金理事長に就任。
平成15年
株式会社阪急フレッシュエールに納品開始。
井元 弘 社団法人大阪食品衛生協会副会長に就任。
平成16年
井元 弘 大阪府生活衛生同業組合協議会会長に就任。
平成17年
本社総務部、仕入部、惣菜加工部、新社屋に移転。 株式会社大侑と合併、同時に株式会社京阪百貨店、株式会社京阪ザ・ストアと取引開始。
平成19年
株式会社東武百貨店(池袋店)に出店開始。
平成22年
井元 弘 財団法人全国生活衛生営業指導センター理事長に就任。
平成23年
九州初出店(博多阪急)。
(株)JR東日本リテールネット(エキュート上野店)に出店開始。
平成24年
株式会社東武百貨店(船橋店)に出店開始。
   
平成25年
井元 克典 大阪府食鳥肉販売業生活衛生同業組合理事に就任。
井元 克典 大阪府食肉公正取引協議会理事に就任。
   
平成26年
井元 克典 一般社団法人日本食鳥協会理事に就任。
井元 克典 一般社団法人日本食鳥協会関西支部理事に就任。
  
平成27年
井元 克典 全国食鳥肉販売業生活衛生同業組合連合会理事に就任。
株式会社近鉄百貨店(あべのハルカス近鉄本店)に出店開始。