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鳥ひとすじに130余年 その1

明治・大正〜昭和初期

鳥芳130余年の始まり

大阪の食鳥産業の起源といわれている、現在の大阪市西区九条。鳥芳の130年を超える歴史は、明治18年に始まりました。初代・井元弥三郎、弱冠18歳。料理屋の丁稚奉公から独立した鳥芳は、明治40年以降、難波新地に南地・鳥芳として店を構え、宗右衛門町、道頓堀、千日前の料亭、小料理屋、芝居茶屋などを取引先とし、最初の発展期を迎えました。

 

初代・井元 弥三郎

二代目・井元 弥一郎

多店舗展開による拡大

大正9年、阪神急行電鉄が経営する宝塚温泉に納品を始め、昭和4年の阪急百貨店開業で取引が拡大。商品を陳列するための本格的な冷蔵ケースを導入して業界で評判となり、多くの人が見学に訪れました。このころには店員・職人が50〜60人という、当時としては稀にみる大所帯となり、昭和9年、2代目・井元弥一郎が鳥芳を継承した際には、今の上六近鉄百貨店・阿倍野近鉄百貨店に出店、大阪市中央卸売市場の開設と同時に鳥芳門前店も開店。多店舗展開をはかりました。

第二次世界大戦期

すべてを奪った戦争

軌道にのり順調だった事業は、昭和12〜13年ごろから始まった物資統制令と、昭和16年の第二次世界大戦突入ですべて奪われてしまいました。昭和16年、京阪神食鳥統制株式会社を行政の指導で設立し、井元弥一郎が専務取締役に就任。京阪神の一括入荷を現中央卸売市場内で行い、それぞれの市に配給しました。鳥芳は店員のほとんどが出征、配給のため商品も揃わず、開店休業状態。誰もが困難を極めたこの時代、鳥芳も難波新地からの強制疎開を余儀なくされました。

株式会社鳥芳

鳥芳のあゆみ

明治18年
初代 井元 弥三郎 20歳で大阪市西九条において鳥芳商店(鶏肉小売業)を創業。
明治40年
大阪市南区(現在の中央区)難波新地に移転。卸・小売・料亭業を営む。
大正9年
阪神急行電鉄(株)直営の宝塚温泉に納品開始。
大正14年
阪急マーケット(阪急百貨店の前進)に納品開始。
大阪市重要物産鶏肉同業組合創立。 井元 弥三郎専務理事に就任。
昭和4年
阪急百貨店鶏肉売場に納品開始。
(店員を派遣)。
昭和9年
井元 弥一郎 2代目店主となる。業績拡大。
昭和20年
阪急百貨店に復帰
昭和22年
大阪府鶏肉商業協同組合 創立。
井元 弥一郎 理事長に就任。
    
昭和33年
個人経営から株式組織(株式会社大阪鳥芳商店)に改組。
3代目 井元 弘 専務取締役に就任。
昭和36年
(株)オアシス(現(株)阪急オアシス)第一号店・高槻店より出店開始。
昭和44年
社名を株式会社 鳥芳に変更。
井元 弘 代表取締役に就任。
昭和48年
井元 弘 社団法人日本食鳥協会理事に就任。
昭和54年
和田 融 専務取締役に就任。
昭和57年
井元 弘 大阪市中央卸売市場綜合直売協同組合の理事長に就任。
昭和58年
井元 弘 大阪府食鳥肉販売業生活衛生同業組合理事長に就任。
昭和58年
井元 弘 財団法人大阪府環境衛生営業指導センター理事に就任。
昭和59年
井元 弘 大阪府食肉公正取引協議会副会長に就任。